数年前、神様から言われたことを思い出しました。
『ナスを食べたいなら、トマトを植えるな』
ナスをトマトに変えるのは、至難の業ですよね。調理法でナス風に変える?魔法で変える?一個変えることすらできるかどうかわかりません。しかも、それをいちいち一つ一つ変えるとしたらどんなに大変でしょうか。
それなら、ナスを植えればいいと。すると実は全てナスなのです。だって、ナスを植えたのですから。これは例え話です。
『結果を変えたいのなら、そもそも行動を変えろ。行動を変えるなら、思考を変えろ。思考を変えるなら、心を変えろ。』ということを表しています。
すると、どうでしょう?初めの一つ、心を変えるだけで結果が全て変わります。これが、根底から覆す方法なのです。
『ナスを食べたいなら、ナスを植えろ。』
本当に当たり前のことですが、求める結果と行動とが意外と乖離してしまっていることがあります。
社会の崩壊というと大きすぎてピンとこないのなら。
例えば意地悪な人と付き合って嫌な思いをするのは、どうですか?そりゃそうだ、となりますよね。また、意地悪をしておいて「好かれたい」と願うことはどうでしょう?それも無理な相談です。
そもそもが逆なんです。
楽しく、穏やかに過ごしたいのなら、そういう方々と付き合うこと。また、嫌われたくないのなら意地悪をしないことです。
では望む結果につながらない行動をとってしまうのはなぜでしょうか?
そこで、心です。自分を内観してみて、心に何があるのか見てみます。私はちょこちょこ見ています。けっこう癖ってあるんですよね。
自分なりの方法でいいのですが、もしもどう見ていいのかわからない時は、ちょっと逆をたどってみるとわかりやすいかもしれません。