友人宅で現れたダイヤモンド?を見せてもらいました。透明度が高く、大きかったです。
でも結局は調べなかったのですが、私はダイヤモンドだったらいいな♪と思っています。
友人は、ダイヤモンドが現れた日の前の数日間に友人宅を訪れた方々に電話して、ガラスや宝石が使われた洋服や装飾品を身に付けていなかったかを尋ねていました。うちにもお尋ねの電話がかかってきました。でも誰もそうした物は身に付けていなかったとのことでした。
それに見せてもらったダイヤモンドはビーズのような穴も空いていなければ、台座も付いていませんでした。何よりも未使用な感じの透明感が印象的でした。
ダイヤモンドかどうかは別としても、何かが現れたのは事実でしょう。
物が現れたり消えたりする・・・この事はとても象徴的です。常識ではあり得ませんよね。でも、私達が勝手にそう思い込んでいたのだとしたら。
有形にしろ無形にしろ、人々の意識が引き起こした現象とも言えるし、そうした現象が人々の意識に影響します。未来予知の時もそうでしたが、結局は意識が鍵だと思います。
そこで神様の言葉を思い出すのです。『世の中とは人ぞ』人々の意識の有り様で世の中が良くも悪くもなるというのでしょうか?
これはおそらくそうだとも言えるし、そうとは言い切れないとも思います。
少なくとも、個人の意識が上がれば、その人にとっての世界は幸せなものに変わるでしょう。それは必ずしも全体が幸せにならなければ幸せになれないとは限らないということです。
私は我が子と家族のために、明るい世の中になるための方法を模索してきましたが、結論は意識を変えるということでした。
そして意識を変えるとはどういうことかを模索する日々へと、突入することになるのです。