イメージで見た未来の映像が当たることもあれば、ずれることもある。また彼女のように変えることもできる。そうしたいくつかの経験をするうちに、未来とは何だろうかと思い巡らせるようになりました。
本当に未来を予知したのなら、変更も含まれるはずではないのか。それなら変更後の未来を見るはずではないのか。予知がはずれたり、見た内容と多少変わったりするのは何故か。
色んな本で色んな方が色んな表現で説明してくれているのをいくつか読んではみたのですが、よくわかりませんでした。
そんな悶々としていたある日、子供が汽車のDVDを見ている時、横で一緒にボーッと見ていると、イメージで数限りない路線図が見えました。
そういうことか。
過去から未来へとつながる路線が何本もあるとします。今乗っている汽車の行き先が今の延長の未来です。これを予知で見たとします。
でも、途中で路線が切り替わったとしたら?
汽車を乗り換えたとしたら?
当然終点の駅も変わります。つまり行き着く未来は変わるのです。
これを意図的に変えるのか、思いがけなく変わるのか、それは色んなケースがあるのでしょう。
願望達成のイメージトレーニングとは、言わば理想の駅を作ることかもしれないし、意図的に路線を切り替えたり汽車を乗り換えたりすることだと言い表せるかもしれません。
どうあれ、未来とは無数に存在する。予知とはそのうちの一つを映像としてキャッチしたに過ぎないのではないかと思うのです。