117 楽園とは ⑤
光のお仕事として再開して数年後のある日、こうして作れていることが奇跡のようで、ただただありがたく。ふと自分のしていることは何だろうかと思った時に『奉仕』という言葉が来ました。意味は「無私の労働を行うこと」とありました。
その時、数年前に『滅私』と言われたのを思い出しました。『滅私』と言われた時には「私心」があったということです。
そもそも自分や家族の幸せのために願望達成を目指してやってきたのですから、まさにその通りです。「個人なんて私心の塊だ。自分の欲のためにやっているんだから、私心があって何が悪い?」くらいに思っていました。
でも福子さんと出会い、光のお仕事が始まって、『光至の光』に触れて、私の胸にも小さな明かりが灯ったのだと思います。
再び作ることが楽しくて楽しくて!
そして新先生と出会い、宇宙の仕組みや真理について色々学ぶようになり、焦りや不安が和らいでいきました。『真理に照らす』とはこんなにも安心なことなのだと知りました。先の見えない世の中を、明かりを灯して行くべき道を歩んでいくが如し。
一方、ただやみくもに能力を求めるのは本当に危ういものだということがわかりました。暗闇の中を手探りでさ迷うようなものなのです。一歩間違えばまっ逆さま。私も暗闇のほんの入り口を覗いてしまったのかもしれません。
ここに至る全てのご縁に大感謝です!
今でも無欲なわけではありません。ただ自分の喜びが変わってきたように思います。
そして自分の喜びが他の人々の喜びに通じたならば、その私心というのは、ささやかではあっても『神仏の思いの現れ』と言えるのではないかと思うのです。
見回すとそういう方々があちらこちらにいらっしゃいます。あいさつ一つ、微笑み一つがそうなのです。そういう小さな現れが、やがては世の中を楽園に変える。一つ一つは小さな花でも辺り一面をピンクに変えるレンゲ草のように。
数年前に、神様に言われた言葉です。
『楽園を作るのだ。それが渡ると人々の心にもまた楽園が作られる。そうして意識から溢れだし、楽園は築かれる。』
意味は『幸せは伝搬する。』ということだ思います。自分がまず幸せになったとき、それは周囲を幸せにして、そうした人々が集まればそこが楽園であるということです。
だから幸せになるためには、「まずは自分の心を整えることが何より大切だということ」なんだと思います。
20年間、幸せを探してきた私の結論です。